2010年10月31日日曜日

IFEXが終わって・・・


短いようでもとっても疲れた3日間がやっと終わりました。多くの方々に来場して頂き、弊社ブースに足を運んで頂き、誠に感謝しています。

説明させて頂いた方々には、今回の弊社のコンセプトをご理解して頂き、「なるほどね。」「そうだよね。」などの声を頂け、今までずっと思い続けてきた気持ちが伝わった、と感激しました。



さて、弊社は自己満足をしているレベルでまあ納得しているのですが、今回のIFEXはとても残念な気持ちになりました。その理由は、私たち、園芸業界にもっと消費の活性化をアピールしなければならないはずの、種苗会社や市場の出展がまた減ったからです。

前々から言っていますが、やはりこの業界、自分のことしか考えない輩が多く、目の前の利益だけで仕事をしている会社が大勢いることを再認識しました。まあ、「自分のことは棚に上げて、まずは相手に文句を言う」というのは、この業界の昔からの風潮ですが、ここまで来ると情けなく感じます。

これも弊社の理念に通じるところがありますが、常にステークホールダーに感謝をし、みんなが良くなることを考えれば、結果は自分にも帰ってきます。

次回のIFEXも勿論弊社は同じ場所で出展します。この様な国際的に認められた園芸展に「出てあげている」のではなく「出させてもらっている」のですし、主催者と一緒になり、私たちがこの展示会をもっと活性化させられる様に協力していかなければならないと思います。まだ次回の出展を迷っている種苗会社や生産者には、もっと自分たちの責任を考え、是非、前向きに検討して欲しいと思います。



また、主催者にも、もっと展示会の趣旨を明確にして欲しいと思います。回を重ねるごとに、何の展示会なのだかが不明瞭になってきている様に感じます。

「園芸業界向けの展示会」というよりも、「ホームセンター業界向けの展示会」という色が強くなってきた様に感じます。

どうか、もう一度原点に戻り、昔のHorti FairやドイツのIPMのような展示会を目指して欲しいと思います。

2010年10月29日金曜日

IFEX

 
昨日からIFEXが始まりました。

今回は、弊社が一番重要視している「鉢物の価値をどのように消費者に理解してもらえるのか?」に焦点を絞りました。

弊社がお取り引きをさせて頂いている生産者は素晴らしい品質の鉢花を作られる方が沢山いらっしゃいます。しかしながら、この数年は市場の価格を見ると、海外と比べても比較的安く流通されているのが現状です。確かに以前の鉢物価格は製造原価に比べて高すぎました。しかし、現在は逆に安すぎると感じます。だからといって販売店が利益を多くとっているのかというと、販売店の利益率も海外と比べて低いと感じます。

このような現状になってしまった要因の1つとして、消費者が植物の楽しみ方をまだ理解していないことが問題なのではないかと考えます。




そこで、今回の展示会では「消費者に楽しんでもらえる鉢花の売り方」を、弊社が最近取扱をはじめたドイツ製の陶器鉢を使用して提案してみることにしました。ポイントは、

*鉢花の花だけを楽しんでもらうのではなく、インテリアとして楽しんでもらう。

*売場の中で、できるだけ消費者に楽しんでもらい、なるべく店内すべてを歩き回ってもらい、可能な限り店内での滞在時間を長くしてもらう。





初日に弊社ブースに寄って下さった方々の反応はまずまずでした。仕入担当の方々が、お店の中の一般消費者と同じ様な行動をとっているのが面白かったです。中には、「このディスプレイ材料をこのまま譲って欲しい」とおっしゃる販売店の方もいらっしゃいました。

消費者が楽しんで買い物をしてくれるシステムが浸透し、隣の店と販売価格だけを比較して植物が販売されるという構図が変わってくれれば理想だと考えます。

2010年10月27日水曜日

広州のウィークリー・マンション



今回の広州出張は、ホテルではなく、ウィークリー・マンションに泊まりました。理由は単に節約の為です。

なにしろ、交易会期間中は市内のどのホテルも通常の倍の値段になるので、とても高額になります。東方賓館など国営のホテル等は共産党員であれば安く宿泊できるのですが、私たち外人がそんな赤の証明書を持っているわけがないので、1泊2.5〜3万円のホテルに泊まるはめになります。

そこで、今回はelong.net(中国版楽天トラベル)で探したウィークリー・マンションに泊まりました。それでも1泊1万2千円くらいしました。部屋は広かったのですが、立付けが悪く、トイレのドアは下側が10cmも隙間ができており、居間のドアは逆に下がこすれて閉まらない状態でした。まあ、ここらへんは愛嬌でしょう。

ただ、キッチン付だったので随分助かりました。「盗まれる」という理由で調理器具や食器等はありませんでしたが、電子レンジ、給湯器、大きな冷蔵庫には大変重宝しました。大好きなコーク・ゼロは近所のジャスコで最初の日に買いだめをしておきましたし、朝食はいつも前の晩にマンション1階のファミマで買っていました。

ここでもビックリしたのは、隣のマンションの1階にはセブン・イレブン、その隣のマンションの1階にはまたファミマが入っていました。立ち並ぶマンション群の中にある店がその3件のコンビニだけで、しかもその3件が隣同士にならんでいる。まったく「?」です。

さて、写真はある日の朝食です。タンタン焼きそば!ボリュームは日本の1.5倍くらいはあり、味付けもとても良かったです。その他のお気に入りは麻婆茄子弁当。これもご飯もおかずの量も日本よりかなり多めで、おかずの具は贅沢に入っていて◎でした。弁当は1つだいたい150~200円くらい。とっても良いです。

2010年10月26日火曜日

広州交易会

108回中国進出口商品交易会に行ってきました。

中国ではグーグルの機能を利用できないため、帰国後のアップになってしまいました。

中国で作られる園芸資材、装飾資材、ギフト商品等、クオリティーだけでなく、品揃えや提案方法等も毎回レベルアップしています。ヨーロッパを意識したものが多く、色使いも日本で人気のある白・赤・黒や白・グレー・ベージュなどの組合わせは減っています。ただ、ラスティックなものは依然根強い人気がある様です。




秋の交易会はクリスマス商品が多かったのですが、それよりも周年使える商品の提案にシフトされていました。この様な所にも景気の影響が出ているのでしょう。濃紫・濃青・濃茶、白・ライム、紫・茶・グレーなどの色の組合わせが多かったです。春の交易会の様にポップ色も少なく、とても無難な色構成の商品が多かったです。

商品の値段は、やはりドル安を受け、若干上がり気味でした。

2010年10月15日金曜日

ユダヤ人

 
今日は取引先の会社の社長に夕ご飯をごちそうになり、色々お話を伺い、大変勉強になりました。
イスラエルの会社であっても、成功する条件は、まずは相手の立場になり、相手のことを考えて仕事をすること。目の前の注文が大事なのではなく、何がみんなの為になるのかを考え、それを周りに伝え、実践すること。理論だけで考えると、「数字」が、まず頭を悩ませますが、みんなを信じ、自分を信じることで、結果がついてくる。簡単なようだけど難しく、難しいようだけど簡単なことです。
また、家族を大事にし、取引先も家族の様に考えてあげること。キリスト教であろうが、ユダヤ教であろうが、または無神論であろうが、(勿論、個人の“救い”の概念は別として)基本にあるのは、「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」だと、つくづく実感しました。

また、今日、観光でマサダに行きました。西暦70年に、この場所でイスラエルの残兵が“イスラエルの意志”を守る為に約1,000人の人々が自決したことが、今日のイスラエルの復興、繁栄に大きく寄与していることを知りました。幕末の「倒幕兵」の行動にも似ています。自分が犠牲になっても、結果としてその行為がみんなの為になり、将来の社会に大きく影響を与えています。

一人の人間の存在はとても小さいものですが、その人の意志が正しく、その意志を貫き通すことで大きな結果を生むことができる。一時的に苦難の時があろうと、何年先、何百年先であろうが、認めてもらえる。

今日は大変大きな“力”をもらいました。

なんか疲れているのか、文章がまとまっていないな。

2010年10月14日木曜日

エルサレム

 
今日は仕事をさぼって、エルサレムの観光をしました。
私たち日本人は「エルサレム」と聞くと「キリスト教」と思いがちですが、実は宗教のるつぼであると知り、ビックリしました。聖墳墓教会の中やその周りに多くの宗教が混在しているのは、不思議な感じです。

イエスが最後に十字架を背負って歩いたヴィア・ドロローサが、時々若干ルートが変わるとガイドの方が話してくれました。ただ、そのルートが大事なのではなく、イエス・キリストが実際に存在し、そのような事実があったことが大事なのであり、私たちがその事実を忘れないことが大事なのだ、と思います。

人間はとても小さな存在であり、助けがなくては生きていけません。その助けを世界中の多くの人々、多くの宗教が、このエルサレムに求めている。改めて「神」、「キリスト」の偉大さを実感しました。そのことが原因で、今まで多くの宗教戦争がこの地で行なわれてきたことにも、大きく心を痛めます。

ガイドの方が言っていた笑い話があります。
日本からクリスチャンのグループが観光に来るのだそうですが、イエスのゆかりの地で聖書に基づいた話をはじめると、すぐに泣き出すそうです。いやっ、これ、なんか分かります。

2010年10月13日水曜日

イスラエル

現在、イスラエルに来ています。イスラエルと言えばまずはエルサレムなのですが、仕事の場所は農業地帯なので、ちょっと離れています。

南です・・・・・・。そう、あの有名なガザ地区のすぐ隣です。行く前は農場の人はなぜだか農場の正確な住所を教えてくれなかったんです。そして、わざわざ1時間半もかけて、私が滞在していた飛行場の近くのホテルまで迎えにきてくれたんです。

そういうことだったんだ・・・・・。

「実はここはガザから2kmの場所なんだ。ほら、向こうに建物が見えるだろ?あそこがガザだよ!」って笑いながら言われた。

「だって、来る前に正確な場所を教えていたら、来なかったでしょ?」って、当たり前だろ!何考えてるんだ!

え〜、来てしまったので、もうどうしようもないってことで、一応仕事してます。

最初の写真はシェルターです。この様なシェルターが国境近くではどの家にも、どの農場にもあります。

ハァ〜ッ。


そういえば、良くみんなから「イスラエルは砂漠なのに良く野菜が出来るな?」と聞かれます。答えは簡単です。水を供給するシステムが良く出来ており、地下に送水用のパイプラインが張り巡らされています。農場ではそのパイプラインより水を取り込み、畑にはチューブを張り巡らしてあります。一般家庭の庭にも同じ様にチューブが張られ、自動潅水できる様になっています。


右側の送水パイプから水を引き込み、タンクの液肥を混入機で混ぜ、そこから畑にチューブを張り、チューブで潅水する様なシステムになっています。

ちなみに、農業用水は使用できる限度量が決まっており、それ以上を使用するとものすごい高額な金額を請求されるそうです。

ご苦労様です。

2010年10月3日日曜日

Hotel California


最近、米軍基地に行ったり、その他にも色々な出来事があって、70~80年代の音楽をずっと聴いています。

音楽って良いですよね。その曲を聴くだけで、昔のいろんなことを思い出すことができ、一瞬、タイム・スリップしたような錯覚に陥ります。



私が初めてアメリカに行ったのは81年、17才の時でした。最初は成田からロスに飛び、ロスに2日程滞在し、あの名曲「Hotel California」のアルバム・ジャケットに使われたBeverly Hills Hotelまで写真を撮りにいきました。建物が想像していた程大きくなく、ちょっと “アレッ!?” だったのが印象に残ってます。

その後、ナッシュビルまで行き、クリスチャン・カレッジでひと夏ESLの授業を受けた後、グレイハウンド・バスで、それから1年間通うこととなる高校のあるオーランドまで行きました。グレイハウンド・バスは低所得者がよく利用する長距離バスです。バスターミナルもけっこう物騒な所にあり、利用する人達も黒人がほとんどでした。丸一日のバス旅だったのですが、バスの中で寝ている間に、隣の席のおばあちゃんに、私のジャッケットの内ポケットにあった財布からお金だけを盗まれたことをよ~っく覚えてます。ちっちゃくってかわいらしいおばあちゃんだったんだけどね。

とにかく、当時はイーグルス、ドゥービー・ブラザーズ、ビリー・ジョエル、ジェネシスなどのポップなロックから、ザ・フー、グレートフル・デッド、イエス、レッド・ツェッペリン、などのハードなロックまで何でも聴いていました。80年代後半にはだんだんナチュラルな感じの曲が好きになり、REM、10,000マニアックス、View from the Hillなどのコンサートによく行っていました。ここら辺、日本ではあまりメジャーにならなかったけど、You Tubeでなら、今でも懐かしい映像を見れます。私は勿論、ダウンロードして携帯に入れています。