2010年10月3日日曜日
Hotel California
最近、米軍基地に行ったり、その他にも色々な出来事があって、70~80年代の音楽をずっと聴いています。
音楽って良いですよね。その曲を聴くだけで、昔のいろんなことを思い出すことができ、一瞬、タイム・スリップしたような錯覚に陥ります。
私が初めてアメリカに行ったのは81年、17才の時でした。最初は成田からロスに飛び、ロスに2日程滞在し、あの名曲「Hotel California」のアルバム・ジャケットに使われたBeverly Hills Hotelまで写真を撮りにいきました。建物が想像していた程大きくなく、ちょっと “アレッ!?” だったのが印象に残ってます。
その後、ナッシュビルまで行き、クリスチャン・カレッジでひと夏ESLの授業を受けた後、グレイハウンド・バスで、それから1年間通うこととなる高校のあるオーランドまで行きました。グレイハウンド・バスは低所得者がよく利用する長距離バスです。バスターミナルもけっこう物騒な所にあり、利用する人達も黒人がほとんどでした。丸一日のバス旅だったのですが、バスの中で寝ている間に、隣の席のおばあちゃんに、私のジャッケットの内ポケットにあった財布からお金だけを盗まれたことをよ~っく覚えてます。ちっちゃくってかわいらしいおばあちゃんだったんだけどね。
とにかく、当時はイーグルス、ドゥービー・ブラザーズ、ビリー・ジョエル、ジェネシスなどのポップなロックから、ザ・フー、グレートフル・デッド、イエス、レッド・ツェッペリン、などのハードなロックまで何でも聴いていました。80年代後半にはだんだんナチュラルな感じの曲が好きになり、REM、10,000マニアックス、View from the Hillなどのコンサートによく行っていました。ここら辺、日本ではあまりメジャーにならなかったけど、You Tubeでなら、今でも懐かしい映像を見れます。私は勿論、ダウンロードして携帯に入れています。
2010年9月27日月曜日
YOKOTA
週末に横田基地に行ってきました。親戚に米軍基地で長く働いていた人がおり、その人と一緒に年に1回くらい遊びにいきます。
基地内のスーパー(Commissary)で買い物をしてきました。
セロリまで奇麗に加工されて袋に入っているのって、あまりに奇麗すぎて不自然?
コーラはいろんな種類がありました。ショート缶12本で240円は安すぎる!
これは今アメリカでけっこうはやっているキャンペーンです。商品の箱についているマーク(ベルマークみたいなもの)を集めてメーカーに送ると、メーカーが学校に本かなにかを寄付してくれるというキャンペーンです。なんか、私もあまりよく分かってないので、説明できません。ゴメンなさい。
米軍基地だからと言っても日本にあるんだから日本の米を販売すれば良いのに、米までアメリカから持って来て販売してました。玉錦はカリフォルニア米の高級品で、コシヒカリにゆめごこちを加えた米だそうです。
ミルクもサイズはアメリカ〜ンです。紙パックが2リットル、プラボトルが3リットルくらいあります。アメリカ人はでかいワケだ!
基地の中を車で運転してたら、面白い看板がありました。写真はちょっと気が引けたのでとれませんでした。その看板には
「日本に住んでいる間、あなた達はアメリカの特使であり代表です!」
だからあんまり悪い事するんじゃないよ〜、国に迷惑かけるなよ〜、って言ってますね!
基地内のスーパー(Commissary)で買い物をしてきました。
セロリまで奇麗に加工されて袋に入っているのって、あまりに奇麗すぎて不自然?
コーラはいろんな種類がありました。ショート缶12本で240円は安すぎる!
これは今アメリカでけっこうはやっているキャンペーンです。商品の箱についているマーク(ベルマークみたいなもの)を集めてメーカーに送ると、メーカーが学校に本かなにかを寄付してくれるというキャンペーンです。なんか、私もあまりよく分かってないので、説明できません。ゴメンなさい。
米軍基地だからと言っても日本にあるんだから日本の米を販売すれば良いのに、米までアメリカから持って来て販売してました。玉錦はカリフォルニア米の高級品で、コシヒカリにゆめごこちを加えた米だそうです。
ミルクもサイズはアメリカ〜ンです。紙パックが2リットル、プラボトルが3リットルくらいあります。アメリカ人はでかいワケだ!
基地の中を車で運転してたら、面白い看板がありました。写真はちょっと気が引けたのでとれませんでした。その看板には
「日本に住んでいる間、あなた達はアメリカの特使であり代表です!」
だからあんまり悪い事するんじゃないよ〜、国に迷惑かけるなよ〜、って言ってますね!
2010年9月20日月曜日
リーダーに必要な条件
昨日は私が通う教会の創立30周年記念礼拝がありました。
私が通う教会の牧師は30年前に我孫子市で牧会を始められ、これまでに多くの方々に伝道をし、若い伝道者を育成し、海外での伝道活動も活発にされております。
キリスト教は世界三大宗教の中でも一番大きく、世界中の信者数は20億人とも言われています。しかしながら、日本では人口の1%にも満たないそうです。そのような逆境の中で、我孫子教会の牧師は地道に活動を続けられ、結果を残してきました。牧師も大変なご苦労をされて来た事と思われますが、彼がここまで続けて来ることができた理由は明確です。彼には聖書に基づく正しい教義が基本にあり、明確なビジョンを持ち、絶対にぶれない信念があります。
このことは、私たち一般企業の経営者にも当てはまる事だと思います。私たちが正しい道徳心を持ち、会社の明確なビジョンを持ち、何があっても絶対にぶれない信念があれば、絶対に志半ばで失敗に終わることはないと信じています。
2010年9月19日日曜日
ギフト・ショー
しばらく忙しい日々が続き、まったくブログの更新が出来せんでした。
もう2週間前にもなりますが、この秋、初めて“ギフト・ショー”なるものにシューリッヒを出展してみました。正直、初めてなので、どのような人達が何を求めて来場するのか、全く読めませんでした。
今回の展示会はかなり予算的には限られていたのですが、担当者は予算以上の素晴らしいブースを作りました。しかし、IFEXや他の今まで出展した展示会のイメージでつくったブースは見事に外してしまいました。来場される方々は、今使える物を、その場で注文される方がほとんどでした。注文する物も、カタログからではなく、展示してある物を「これが欲しい」と買っていかれます。イメージを求めるのではなく、自分のお店の商品棚に今置ける物を探している方がほとんどでした。
えっ、それでいいんですか?通常の規格に合いませんよ。他のサイズもありますから、そちらにしたほうがいいんじゃないですか?」と親切心で説明しても、「いやっ、これがいいんです!」と返事されたりして。
けっこう、普通の買い物感覚で来られている方が多いと感じました。
まあ、何事も勉強ですから、今回の失敗を次回に生かしていきたいと思います。結果は100%ではなかったけれども、良い勉強はできたし、新しい取引先もできたので、まずは合格点でした。
来月はIFEXがあります。そちらもかなり力を入れています。今まで以上の素晴らしいブースと素晴らしい提案が出来る事と思います。
2010年8月31日火曜日
日韓合併100年
私が韓国との仕事を最初にしたのは1987年、ソウルオリンピックの1年前です。今から既に23年も前の事です。当時学生だった私は、日本の製鉄会社の通訳として韓国に行きました。韓国の会社との話し合いはトントン拍子に進み、後は契約だけとなったのですが、突然、韓国の会社の担当者と連絡が取れなくなってしまいました。当時はEメールなどはなく、電話、テレックス、ファックスでのやりとりだったのですが、どうしたものか、最終段階まできているのに、突然その担当者と音信不通になったのです。日本の製鉄会社の担当者と私はその後何度も韓国に出向き、その担当者と話し合おうと試みました。先方は財閥企業で、ソウルの中心部に大きな自社ビルを構える会社です。受付で面会を申し込むのですが、毎日出向いても居留守を使われました。
結局、2〜3週間後、彼の部署のフロアまで押しかけることができ、なんとか担当者に会うことができました。それでも、そこでも彼は私たちを無視し続け、彼の横で3時間も待たされるはめになりました。やっと、彼も諦めた様に私たちと向かい合い、口を開いてくれました。その時の言葉はまったく予想外の言葉でした。
「あなたたちは、戦時中、私たちに何をしたか知っているのですか?」
私は戦争を経験していません。勿論、先方の担当者も、明らかに戦後生まれの方でした。どういう事なのかはよく理解できなかったのですが、日本の製鉄会社の方に話の内容を伝え、「よく理解できないけど、とにかくあやまろう。」と、韓国の担当者に丁寧に謝りました。
その後、契約書にやっとサインをしてもらえ、事なきを得ました。韓国の担当者とは、契約締結後は頻繁に連絡を取る様になり、今では「ヒョンニム(兄さん)」と呼ぶ様な間柄になっています。
また、当時は韓国との仕事をしている日本企業も限られており、韓国農水産物流通公社、韓国貿易協会、韓国企業連合、三星(サムソン)、金星(LG)などの担当者たちとも普通に親しくなりました。彼らから見たら年下のヒヨッコの私に、彼らがよく話してくれたのは、「右手で握手したからと安心するな。左手で殴られるぞ。」という言葉でした。多分、冗談ではなかったのだろうと思います。
さて、今年は日韓合併100周年だそうです。私が韓国の仕事を初めてしてから、既に約四半世紀が経っている事を考えると、私も随分古い人間だなあと感じます。
当時の韓国の方の対日感情と、四半世紀後の韓国の方の対日感情はどれくらい違うのでしょうか?メディアを通して得る情報からすると、あまり変わっていない様に感じます。
朝鮮日報(オンライン版)で「日韓合併100年」の特集記事が沢山掲載されています。その中に「堤岩里教会」に関する記事があります。このような悲しい事件が起きた事は事実ですが、その後の歴史も事実です。また、その事に心を痛めている日本人が多くいる事も事実です。
http://www.chosunonline.com/news/20100829000022
前述の韓国の友達の弟(たしか、当時はまだ彼は中学生くらいだったと思います)と初めて会い、丸一日遊んだ後に一緒に夕食に行った時、私は彼に聞きました。「日本人をどう思う?」
彼は言いました。「日本人は嫌いだ。学校でそう教わっている。でもあんたは好きだよ。」
お兄さんから「謝れ」と言われた事は一生忘れられない出来事でした。また、彼の弟から「でもあんたは好きだよ。」といわれた事も一生忘れられない出来事でした。
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