2012年5月13日日曜日

母に改めて感謝


今日は教会で、母の日の特別礼拝がありました。毎週教会では礼拝時に「週報」という礼拝や行事等に関することが書かれた資料を配るのですが、その中に、今日は親子の愛情を再認識させられる素晴らしい話がありました。今から約37年ほど前に、ある母子が書いた詩のやりとりです。

この詩の作者は山田康文くんといいます。生まれた時から重度の脳性麻痺で、全身が不自由で書くことも話すことも出来ませんでした。 養護学校の向野先生が康文くんを抱きしめ投げかける言葉が康文くんのいいたい言葉の場合はウインクでイエス、 ノーの時は康文くんが舌を出す、この作業の繰り返しで詩を書いたそうです。出だしの「ごめんなさいね おかあさん」だけで1ヶ月かかったそうですから、気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれたんですね。


ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう 
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを 
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる 
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

康文君の詩を、先生が彼の母親に見せた時、お母さんは無言でした。彼女はただ目頭を押えて、立ちつくしていたそうです。

そのお母さんから先生に、『私の息子よ』と題した詩が届いたのは、次の日のことでした。

私の息子よ 許してね
私の息子よ 許してね
このかあさんを 許しておくれ
おまえが 脳性麻痺と知った時
ああ、ごめんなさい!と 泣きました

いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
おまえを背負って歩く時
肩にくい込む重さより
「歩きたかろうね」と 母心
「重くない?」と 聞いている
あなたの心が せつなくて
私の息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたの姿を見守って
お母さんは生きていく
悲しいまでの 頑張りと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性麻痺の わが息子
そこにあなたがいる限り

この詩に表されたお母さんの心を受けとめた康文君は、また詩作に励みました。
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい 
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

そしてその2ヶ月後、康文くんは亡くなりました。

この詩を読まれて、目頭が熱くならない方はいないと思います。

私もこの詩を読んで、自分が子供の頃の母との思い出がたくさん、たくさん甦り、しばらく、しばらくボーッとしました。母に改めて感謝をしました。

2012年5月2日水曜日

マーケット・リーダー



今、育種農場を廻っています。
昨日訪問したPAC社で沢山の育種途中のゼラニウムを見てきました。PAC社は現在ゼラニウムの育種能力では世界一だと思います。育種農場を廻りながら担当者と育種についての話をしました。4~5年で満足する品種が出来る事もあれば、その一方、20年近くも育種を続けていても完成しない品種もあります。なんでそんなに時間がかかるのかを聞きました。

「今の育種法では他の人の材料を使う事も可能だ。しかし、それでは、それ以上の品種を作ったとしても「2番煎じ」のレッテルを貼られてしまう。自分たちで材料を作りながら新しい品種を作っていく為には一朝一夕で良い品種は出来ない。」

おお、現場の人からいわれると説得力があるなあ。

以前、ポールセン・ローズがなぜ優れているのかのモーン・オルセン氏に理由を聞いたことがあります。それは、100年以上かけて集めた材料だそうです。このことはコルデス社のティム・ハーマン・コルデス氏も同じ意見でした。(ライバルなのに認め合ってるって、カッコいいですね!)実際、この2社のバラに比べると、F社のバラは、綺麗な花は沢山発表しても、品質面ではイマイチ(あまり悪く書くと怒られそう)と言われています。

ポインセチアで有名なポール・エッケが書いた本で知ったのですが、ちょっと前に一世風靡したウィンター・ローズという品種がありますが、あの品種はポール・エッケが1920年代の後半に自社の育種部屋で発見してから約80年後(なんと、孫の代になってから)に新しい品種として発表されたんですね。なのに、発表されるや否や、フィッシャーやデューメンもこぞって似た様な品種を発表してきましたよね。

勿論、これは何の問題もありません。しかし、業界やマーケットにどの様に見られるのか?PAC社の育種担当者が気にする「2番煎じのレッテル」がついてしまうことが、会社にとってデメリットにならないか?

ちょっと話は変わりますが、アメリカではサントリーのサフィニアはPWのスーパーチュニアに勝てないと今でも言われています。その理由は、アメリカで発表されたのがスーパーチュニアはサフィニアより半年早かったからだと言われています。育種はサフィニアの方が早かったのですが、ぐずぐずしているうちに、アメリカではスーパーチュニアが早く認知されてしまったんです。スーパーチュニアが栄養系ペチュニアなんだ、と思われたわけですね。日本で作られた技術をアメリカに教えたくない、とかいう遅れた島国根性が災いしたんですね。

マーケット・リーダーになる為には、何が必要なんでしょうかね。やはり、みんなから『ホンモノ』と認めてもらえる事でしょうかね。