今日はとても悲しいことがありました。ピッツバーグがグリーンベイに負けました。何のことだか分からない人もいるかもしれませんが、今日はテキサス州ダラスでピッツバーグ・スティーラーズ vs. グリーンベイ・パッカーズのスーパーボウルが行なわれ、僅差でピッツバーグが負けてしまいました。
私は、80年代をピッツバーグ郊外で過ごし、この町やこの町のスポーツチームにはただならぬ思い入れがあります。ルームメートの親戚がスティーラーズで働いていたこともあり、たまに一緒にスリー・リバー・スタジアムまでスティーラーズの試合を観に行っていました。スリー・リバー・スタジアムは野球の試合の時とアメフトの試合の時とでは競技場の形が変わる(野球:扇形、アメフト:長方形)面白いスタジアムでした。そのスタジアムの一番前の方で試合が観れたのは本当に友達に感謝です。(その友達は、私の今年の新年のブログの写真に一緒に写っています)
80年代を代表するQBにジョー・モンタナとダン・マリーノがいます。サンフランシスコとマイアミで活躍した選手ですが、なんと二人ともピッツバーグ出身です。まあ、モンタナはノートルダム大学だったので、あまり思い入れはありませんでしたが、マリーノはピッツバーグ大学でかなり目立っていましたし、当時、スティーラーズの有名なQB、テリー・ブラッドショーが引退したかどうかの辺りだったので(あまり良く覚えてない)、マリーノには絶対スティーラーズに入って欲しかったです。
結局、マリーノをドラフトで選ばなかったスティーラーズは、その後、ずっとQBで悩みました。一方、マリーノを獲得したマイアミ・ドルフィンズでは、その後、どんどんマリーノがNFLの新記録を塗り替え、マリーノの背番号13は永久欠番にまでなりました。
全く関係ありませんが、マリーノが活躍したオレンジ・ボウル(当時のドルフィンズの本拠地)で、一番印象に残っているのが、ボストン大学vs.マイアミ大学のサンクスギビング記念試合(84年)です。当時のボストン大学のQB、ダグ・フルーティーは、頭は良かったのですが確か身長170cm台の小柄な選手でした。接戦の試合で、負けていたボストン大学が、最後のプレーでダグ・フルーティーの60ヤード以上のエンドゾーンへの直接のタッチダウンパスで逆転勝利した試合です。ボストンの友人の家でみんなでテレビを見ていて、あきらめ顔が一転“ウワーッ”、“キャーッ”、“ヒョエーッ”になった試合でした。みんな興奮して、試合を見た後に表に出て、アメフトのボールでロングパスをしていたのを覚えてます。
フルーティーはその後、夏に開催していた今は亡きUSFLで地味なプロデビューをした後、NFLとCFLを渡り歩き、地味ながらも結果を残し続け、なんとつい最近まで現役を続けていました。一方、ボストン大学に負けたチームのQB、バーニー・コザーはクリーブランド・ブラウンズに入り、当時落ち目だったスティーラーズにとっては、「目の上のコブ」的な存在でした。
ああ、だんだん熱くなって話が全然関係ない方に行ってしまいましたが、そうです、鉄の町、フラント・ロイドの町、ハインツの町、フラッシュ・ダンスの町、全米で「最も住みやすい町」に選ばれた町、ピッツバーグのスティーラーズが今日は負けてしまいました。
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