2010年12月19日日曜日

森繁久彌さんの養女



今日は「クリスマス特別礼拝」で、我が教会期待の若手伝道師が説教をしました。最初はちょっと静かな話し方だったのですが、途中からだんだん熱がこもってきて、最終的には大変感動的な話にまとまりました。

説教の中で“クラーク桂子”さんの話が出ました。クラーク桂子さんと聞いてピンと来る人は少ないと思いますが、なんと森繁久彌さんの養女だそうです。

話の内容を森繁久彌さんの「大遺言書」より抜粋しました。

森繁さんには桂子さんという黒人と日本人のハーフの養女がいる。昭和41年文化放送の「今晩は、森繁です」という番組に小関桂子という女性から手紙が来た。 両親は行方不明、ハーフであるがゆえの悲惨な身の上に森繁さんはショックを受け彼女を引き取ることになる。その後桂子さんはアメリカのクラーク青年と恋仲になり、ロスで結婚式をあげようと、渡航手続きをしにアメリカ大使館へいった。ところが、パスポートもビザも出してもらえなかった。森繁さんは遠い目をして当時を偲ぶ。

「この子には国籍がありませんでした。戦後の混乱期のことだからといくら説明しても、納得してくれません。佐世保のころの住民票なんかを取り寄せて交渉しましたが、埒があかない。ーそこで私たちは、桂子を養女にしました。森繁桂子ーこれで文句があるか。文句はあると言うのです。ほんとうの国籍ではない。向こうも意地になっていたのかもしれません。女房が怒りました。大使館の人に、この子の幸福をメチャクチャにするつもりかと、噛みつきました。私がびっくりするくらいの剣幕でした」

森繁杏子夫人は森繁桂子さんを連れて、十日間つづけて大使館に抗議にいったという。さすがの大使館も折れて、とうとうビザは出た。夫人と桂子さんは、人目も構わず、大使館の門前で抱き合って泣いた。

横浜から船に乗って、桂子さんが渡米する朝がきた。クラーク青年はカリフォルニアで花嫁を待っている。森繁夫妻は、この日のために着物を一式用意していた。 赤の地に桜の花を散らせた振り袖だった。華やかな振り袖の混血児が船の甲板に現れた。船上の人たちも、岸壁の見送りの人たちも、声をのんで桂子さんに見入った。

「お父さまー」船縁にすがって花嫁は叫んだ。「お母さまー」

森繁さんは泣いた。涙が止まらなかった。傍らを見ると、杏子夫人は下を向いたまま顔を見せようとしなかったが、その指は森繁さんの掌を掴んで震えていた。

その後桂子さんは桂子クラークとしてカリフォルニアで幸せに暮らし、杏子夫人の一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌にかならず日本に帰ってきている。

ー森繁久彌の大遺言書より


「無償の愛」というのを理解できますでしょうか?神様が私たちを愛する事で、神様が何ら利益を得るわけではありません。これは親が子供を愛する事と全く同じです。子供のいる親には、この「無償の愛」の概念がよく分かると思います。


神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)


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