2010年8月31日火曜日
日韓合併100年
私が韓国との仕事を最初にしたのは1987年、ソウルオリンピックの1年前です。今から既に23年も前の事です。当時学生だった私は、日本の製鉄会社の通訳として韓国に行きました。韓国の会社との話し合いはトントン拍子に進み、後は契約だけとなったのですが、突然、韓国の会社の担当者と連絡が取れなくなってしまいました。当時はEメールなどはなく、電話、テレックス、ファックスでのやりとりだったのですが、どうしたものか、最終段階まできているのに、突然その担当者と音信不通になったのです。日本の製鉄会社の担当者と私はその後何度も韓国に出向き、その担当者と話し合おうと試みました。先方は財閥企業で、ソウルの中心部に大きな自社ビルを構える会社です。受付で面会を申し込むのですが、毎日出向いても居留守を使われました。
結局、2〜3週間後、彼の部署のフロアまで押しかけることができ、なんとか担当者に会うことができました。それでも、そこでも彼は私たちを無視し続け、彼の横で3時間も待たされるはめになりました。やっと、彼も諦めた様に私たちと向かい合い、口を開いてくれました。その時の言葉はまったく予想外の言葉でした。
「あなたたちは、戦時中、私たちに何をしたか知っているのですか?」
私は戦争を経験していません。勿論、先方の担当者も、明らかに戦後生まれの方でした。どういう事なのかはよく理解できなかったのですが、日本の製鉄会社の方に話の内容を伝え、「よく理解できないけど、とにかくあやまろう。」と、韓国の担当者に丁寧に謝りました。
その後、契約書にやっとサインをしてもらえ、事なきを得ました。韓国の担当者とは、契約締結後は頻繁に連絡を取る様になり、今では「ヒョンニム(兄さん)」と呼ぶ様な間柄になっています。
また、当時は韓国との仕事をしている日本企業も限られており、韓国農水産物流通公社、韓国貿易協会、韓国企業連合、三星(サムソン)、金星(LG)などの担当者たちとも普通に親しくなりました。彼らから見たら年下のヒヨッコの私に、彼らがよく話してくれたのは、「右手で握手したからと安心するな。左手で殴られるぞ。」という言葉でした。多分、冗談ではなかったのだろうと思います。
さて、今年は日韓合併100周年だそうです。私が韓国の仕事を初めてしてから、既に約四半世紀が経っている事を考えると、私も随分古い人間だなあと感じます。
当時の韓国の方の対日感情と、四半世紀後の韓国の方の対日感情はどれくらい違うのでしょうか?メディアを通して得る情報からすると、あまり変わっていない様に感じます。
朝鮮日報(オンライン版)で「日韓合併100年」の特集記事が沢山掲載されています。その中に「堤岩里教会」に関する記事があります。このような悲しい事件が起きた事は事実ですが、その後の歴史も事実です。また、その事に心を痛めている日本人が多くいる事も事実です。
http://www.chosunonline.com/news/20100829000022
前述の韓国の友達の弟(たしか、当時はまだ彼は中学生くらいだったと思います)と初めて会い、丸一日遊んだ後に一緒に夕食に行った時、私は彼に聞きました。「日本人をどう思う?」
彼は言いました。「日本人は嫌いだ。学校でそう教わっている。でもあんたは好きだよ。」
お兄さんから「謝れ」と言われた事は一生忘れられない出来事でした。また、彼の弟から「でもあんたは好きだよ。」といわれた事も一生忘れられない出来事でした。
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